保育の内容
保育方針
乳児:ふたば(0歳児保育)、つくし組(1歳児保育)
当園では聖書のおしえを通して豊かな宗教情操を培い、「思いやりと感謝する心を育て、強くたくましい心身を育てる」を基本理念にしております。
幼児期
幼児は人間として成長する諸能力を最も豊かに与えられて生を受け、著しく発達することが明らかにされています。
従って当園では、「知、情、体」の調和のとれた保育環境を整え、「動き、ことば、リズム」を基調とした適切な経験を与え、リズム、テンポのある楽しい雰囲気で毎日繰り返す活動により、乳幼児期に大きく育つ 視る、聴く、動く、触る、味わう、話す等の五感の感性を養います。

さらに人間である大切な“ことば”の発達の根っこを培うことにより、乳幼児の生まれながらに持っている天分を豊かにはぐくみ、心身の全人的な発達を促します。そのためには情操的にも安定した、たのしい愛情に満ちた環境を与えなければなりません。
保育実践内容

1.感覚

平衡感覚

皮膚感覚

聴覚

視覚
2.運動
乳幼児はミルクを飲み良く眠り、オシメを代える。この連続的な毎日の営み、それが新生児、乳幼児が育つことであり、子育てであるように一般的には考えられています。たしかに身体的、生理的な成長のために、必要なことであり、大切なことです。

しかし、霊長たる人間の基礎基盤が形成される乳幼児だからこそ、乳幼児は、それが育つにふさわしい環境が用意されなくてはなりません。勿論、身体的に大きく成長する時でもありますが、それ以上に情緒的にも安定した愛着関係、そし親愛に満ちた人間的な信頼関係がなくてはなりません。

本来、幼児は生まれながらにして自分が愛され関心もたれること、周囲の大人の優しい笑顔、そのような集団の中でのリズム感に溢れた豊かなことば、それに美しい響きの音楽等に限りなく魅かれるのです。

そうです!生まれながらに人間として生を受けた人生の第一歩、それが新生児です。
真・善・美、愛の溢れた環境に包まれ、満たされることにより、情緒的にも安定します。生理的にもっている心と体の発現するプログラムは、脳の神経細胞を組み合わせたネットワークシステムを働かせ、外の環境に適応しながら発達を遂げていくのです。

それは心と体のプログラムが夫々別々に働いているのではなく、両者が相互に関連し合いチューニング(同調)し合いながら育っているのです。なかよし保育園では、このようなことを体験しながら日常の保育を実践しており、その一環として“スキンシップ活動”があります。

保育士と幼児が一対一で、豊かな表情、優しいことばをかけながら、素手で身体全体のツボをマッサージしたり、又指圧でツボを押さえることによって、身体的にも快なる感覚に満たされ、情緒的にも安定するのです。
そこには、保育士と幼児との一体感、信頼感が醸成され、文字通り豊かな“スキンシップ”が成り立つのです。勿論、その結果ツボの指圧、素手によるマッサージは消化器等の内臓を強化し、皮膚を刺激することによって血流を活発にし、身体の発達に大きな効果があります。このように幼児とってすばらしい“スキンシップ”は、文字通り保育士と幼児との心と心の通い合う、至福の時でもあります。
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スキンシップ活動
■2ヶ月~10ヶ月
足の指圧、マッサージ、曲げ伸ばしなど。
■4ヶ月~1歳
足の裏を指で押して刺激する(指圧)など。
体育ローティション(1才~2才)
・ローリングマット運動を行う。
・ハンモック遊びをとおして平衡感覚を鍛える。
・バスタオルに乳児を乗せ歌に合わせながら揺すり、三半規管を働かせて平衡感覚をつけていくなど。
リトミック
・ピアノに合わせて(兎とかめの曲)ハイハイ運動を十分にする。「子守歌」でネンネ。
・「やきいもコロコロ」脇を支えてゴロゴロ、抱っこでゴロンゴロン、上手になったら競争したり、追いかけっこしたりなど。
はだしはだか保育
・交感神経が活発に反応できるようになり、それまで体温調節を知らなかった赤ちゃんの身体に体温調節機能ができ上がって、風邪をひきにくくなる。
・入園当初の子には裸保育に対して十分注意して徐々に行う。
・裸足での生活を積極的に採り入れる。裸足で生活することにより、土踏まずがはっきり表れ、立った時の重心もしっかりと足の指を使って立てるようになる。
・裸足の方が足に解放感があり、歩く際の安定感も高くなる。
・運動能力やバランス感覚と共に、情操教育や知能の発達の面でも良い影響が見られる。
・風邪や強力なインフルエンザが流行した年でもほとんどの子は罹患することがありません。
・当園は創立以来、インフルエンザなどで休園をしたこともありません。
村上園長の子育て論その②
こどもは未来です。希望です。
我田引水になりますが、もし「保育園がなかったら?」今の世、子育てはどうなっているでしょうか。家庭も社会も成り立たなくなり兼ねない存在が保育園の役割です。
保育園の存在意味は、特に最近その位大きくなってきているのです。保護者、一般の人、そして保育園の保育士などで、答えは色々異なるにしても、保育園の存在意義を「保育園という大きなお家の家庭的生活の中で、生きる力を生み出す子供社会」と考えます。
豊かな依存体験を十分に
赤ちゃんは、周囲に対する信頼感を基盤に自立していき、その信頼感なしには、自立が出来ないのです。無力な赤ちゃんは自分では何もできないので大人の、誰かに依存し世話にならなければ生きていくことができません。

ところで、問題は赤ちゃんの期待や欲求に、周りの人が叶えてくれない場合です。自分で出来ない、誰もやってくれない。泣いて訴えて、喚(わめ)いても、欲求を満たしてくれない。あれこれ要求しても親や大人に受け容れられなければ、一種の無力感が漂いつのりかねません。そういう負の初期体験によって、周囲に対する不信感が生じてしまいます。

赤ちゃんには色々な欲求があります。オムツが濡れて気持ちが悪い、取り替えて欲しい。お腹が空いた、オッパイが欲しい。退屈だから相手にしてほしいなどなど。寝入りばな寂しいから側に添い寝してほしい。目が醒めた時、不安に襲われたとき、すぐ側に来てあやして欲しい・・・。

そのような、自分で解決できない不満や不安、不快感を、お母さんや、保育者が自分に代わって解決してくれる、自分の欲求を十分に豊かに叶えてくれたという経験、これが大切です。特に最初の3ヶ月は、子どもの欲求が全て受け容れられて、十分に欲求が全部叶えられる体験が必要です。このように、依存体験を十分にした子どもは自立が早い、これは自分自身に対して自己肯定感の強い子になるからです。

小さいうちから決して躾や我慢強くなどという強制の下では、我慢さなど育つ事はなく、その反対の結果、言葉は強いですが、虐待にさえなりかねません。自分に対する無力感が残るだけのことになるからです。

乳幼児期に親や大人など周囲に対する不信感が募ることは、イコール、自分に対する無力感として残りかねません。その反対に、愛情深いお母さんはじめ、大人の豊かな愛着によって周囲に対する信頼感で満たされ、強まるほど、自分に対する自己肯定感を育むことになっていきます。この自信が、自立、自律、自己確立へと繋がっていく大きなエネルギーになるのです。(自己肯定感)
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愛された原体験…小さな家から大きな家へ
保育園は「大きなおうち」という社会的家庭の考えに支えられて0歳の赤ちゃんから6歳まで6年間も在園し、社会生活の基本を、家族的環境という集団の中で自然に学び育っていきます。

このような愛情の集団「大きなおうち」である保育園で育った子供は、例え、不幸にして、両親が離婚など家庭崩壊のような中に遭ったとしてもたくましく生きる力を育んでいきます。何故なら個別の家庭の崩壊があっても、朝から夕までの保育園という「大きなおうち」の愛で培われた人間への信頼感・自己肯定感という「生きる力」が、その子を救い、励まし続けるからです。これを愛による人間への原初体験と呼びます。保育園時代を超えて、卒園してからも「保育園で愛された原体験」が生きる力が「一生もの」になっていくことを、保育者は知っています。

今、不登校、引きこもり、いじめ問題など教育問題、深刻な社会問題となっております。さらにこれらは、少年犯罪等に関わる予備者へと繋がり、社会問題となっております。このケースも幼児期・乳幼児期に「愛された」という原初体験の少ない人が多いというデーターがあります。
事実、保育園卒業者と幼稚園卒園者とを小学校に上がってから、不登校、引きこもり、少年犯罪等で云いますと、幼稚園出身者の方が多くなっているという統計もあるくらいです。
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では保育園卒園者はなぜ非社会的行動をとる子が少ないのでしょうか?
その理由として保育園は、単なる子供を預かるだけの場所としてだけでなく「ゆりかご」であるべき家庭の延長としての実態・環境を全面的に受け止め、子どもの悩みを己が悩みとして悩み、更には子ども達への未来への希望を託すことのできる「生きる力」を育む場としているからです。

学校や企業社会は「競争と比較」の社会です。ここではタフな人間力を持っていないと生き残れません。このタフな人間力の原点となる、しつけ、マナー、ルール、チームワーク、判断力、忍耐力、協調性などを保育園は「教育」という手法システムで教えるようなことではなく、温かい雰囲気の、大きなお家の兄弟姉妹の中で、見習い教えあい、助け合いという自然体で育まれます。自然体ですから、学校教育型でなく、人間としての人格形成の基礎を無理なく育みながら生きる力となります。就学前の子育ては、学校教育型教育になってはならず、人と人の絆を深める保育園型子育ての大切さを今この時期こそ強調されなければならなく、これが少々の困難があってもキレる子供をつくらない基本です。
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なかよし保育園園長 村上光男(むらかみ みつお)
【1938年】秋田県に生まれる。
【1970年】七田眞先生等と新幼児教育推進のため幼児教育の運動に参画。
【1983年】秋田光茂先生、水野茂一先生等と総合幼児教育研究会「総功研」設立。
      「総幼研」会員園数210園を創立者の1人として設立。事務局長に就任(15年間)。
【1986年】なかよし保育園2代目園長に就任、現在に至る。
【1998年】教育学博士号を授与。
【2010年】神学博士(D.M)米国ルーサー・ライス大学より授与。
【2002年】JIJ宣教神学校 牧師科卒業
【2007年】東京神学校 教師科卒業
【2007年】東京神学校 博士科入学
【2009年】東京神学校 博士課程単位習得終了

三つ児の脳 百までも
「子育てに自信がありますか?」と聞かれて、「ハイ」と即座に答えられますか。ヒトの人生には、なすべきことがたくさんありますが、中でも『子育て』は、避けて通れないヒトの人生の一大事業です。でも、子育ては、ヒトだけに固有の事業ではありません。考えてみると、いや考えてみるまでもなく、あらゆる動物は、子育てを営んでいるのです。

-保育園の園長が書いた本-「三つ児の脳 百までも」はじめに-より
園長先生の子育て論
こちらから園長先生が書いた冊子や入園案内のPDFデータをダウンロードして頂けます。
先生の子育て論・教育論に触れて、子育てのことを一緒に考えていきましょう。
※画像をクリックするとPDFファイルが開きます。

入園案内

創立50周年 記念誌

こんにちは!私は赤ちゃん
-神秘・266日の創造物語-

風の子

太陽の子
-夏こそ逞しい子が育つ-

新しいいのちを育む
給食
「一粒の米は身体を育てるだけでなく、こころを育てる」
乳幼児にとって食物は単に体を育てるにとどまらず、最大の臓器である脳(心)の形成発達を促す栄養源です。特に脳科学の脳発達の解明で、特に食の大切さが分かってきました。従って、子育ての基本は食に負うところが大変大きいとの考えから、所謂「育脳健康自然食」として、なかよし保育園の給食は専門の管理栄養士により献立、調理されております。

2015年2月の献立表
※画像をクリックするとPDFファイルが開きます。
脳を作ったのは「食」である
文明は、皮肉やパラドックスに満ちている。交通手段が進むことで、現代人の歩く能力は昔の人に比べて恥ずかしいくらいに退化した。虫歯は、歯磨きが常習になってからひどくなったという。

衛生思想が進み、日本の社会が無菌状態になれば、人は菌に対する抵抗力を失う。インドネシアのバリ島を訪れる旅行者のうち、日本人だけがコレラに罹るというし、突然、暴れだしたO-157の前で右往左往だ。文明の進化を盲目的に信じた昔の人は、思考を“武器”とする人間の未来の姿だと言った。勿論SFである。

だが、ここには一つ陥穽がある。脳(つまり考える器官)だけが、これからもどんどん進化し、それ以外のからだは、使われない事で退化するという漠然とした了解は間違いである。
ホモ・サピエンス出現の何万年も前から脳の基本は脳だ、成長発達も進化もしない。

それが動物としての人間の宿命。脳と体はセットになっているからである。もし、脳が脳でだけで進化してしまうのだったら人間の行く末はコンピュータしかない。コンピュータには体がない。つまり感性がない。感性とは“からだ”全体から脳に送られる情報である。

人間の脳は、全身から来る情報によって活発化する。感性とドッキングしない脳は退化するしかないだろう。だから、さっきの話は、体の退化で脳も退化してしまうのは必然なことである。

人間にとって「身体性」は避けて通ることができない現実である。身体性とは、生命あるのもは、食べて排泄しながら生きていかざるをえないということだ。身体があって始めて脳はものを感じ、考える。その身体が弱体化すれば、脳も衰弱する。ところがそんなあってはならない話が、現実化しつつあるというのだから、わからないのである。SFゆずりの醤油顔だ。現代人の食生活が安易なものになるに従って、噛むことから解放(!)された顎が退化し始めた。見た目は、頬がすっきりしている。
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離乳食
◆添加物の加工食品等は避けるようにし、緑黄色野菜、海草、穀物等の日本の伝統食材をベースに調理する。
◆現在、何らかのアレルギーを持った者が多いが、早くから動物性蛋白質を与え過ぎないようにしている。アレルギーは先天的な体質によるものと、農薬添加物等に起因するものがあります。
◆生きて行く上で一番大切な食するという作業(ミルクがしっかり飲める、離乳食がしっかり食べられる)に対して意欲的であるということは、全てのやる気、意欲を育つことにも繋がります。1人1人の子供の様子を見ながら食育に取組みます。
◆糖分の多い飲み物、食べ物は幼児の健康を害するものが多いのでさけ、DHAを豊かに含む青魚や、穀物中心、日本の伝統的食材を中心にした手作りの調理法により、バランスのとれたミネラル・カルシウム分の多い素材を使っています。
◆食べることは幼児にとって生きるための主要な活動であり営みです。
保育園の役割
保育園の役割とは
当園は今年で創立55年。爾来「良い子育てと、充実した仕事は、必ず両立する。」とのスローガンを高く掲げてきました。どのお子さんも人間力としての「生きる力」は幼児期にこそ獲得されなければならない、との最新の脳科学が教える知見に従い、子どもが育つ「最善」の環境の中にあって、バランスのある楽しい環境の毎日の繰り返しによって『どの子も育つ「明るく、賢く、逞しく」』との保育方針を貫いて参りました。

少子化対策等の子育ての議論を深めるほど、保育園の存在が増しています。何故なら赤ちゃんからの子育ての経験あるスタッフと施設を備え、子育てのノウハウを豊かに最も蓄積しているのは保育園だからです。これは保育園の歩みそのものであったからです。しかし保育園にも色々あり、その保育機能としての内容は玉石混合です。しかし保育所保育指針に『養護と教育は一体であり、豊かな人間性を育成』と謳われております。
この保育指針の精神をいかに実現し、保育のレベルアップを目指す事が保育者に問われております。これが少子化時代を克服する最強の子育て支援策です。その理由を以下にまとめてみました。
保育園と親との共通の絆
保育園と父兄とは「子どもの最善の利益」を担保し、「良い子育てをする」と言う共通の絆で結ばれております。下の左欄は親としての立場、下の左欄は親としての立場、右欄は保育園との関係の中での考え方。子育ての問題は必ず解決への道筋、答えがあります。

保育園はその手助けをする為に、今更ながら、若い親御さんに対してその為の啓蒙とコミュニケーションの大切さを痛感させられます。
小学校校長訪問記
なかよし保育園訪問記【元・川口市立本郷小学校長桑原清四郎】
人生とは実に不思議、なかよし保育園との出会いも不思議、村上園長先生との出会いも不思議である。
なかよし保育園の実践は凄い。本当に凄い。
25年も前からこんな教育が実際に行われていたとは…。
以下は本気になって教育を探って30数年経つ小学校長の感想、点描である。

1.
駅から5分、繁華街、ビルの3階。教育環境としては決して良いとは言えない。
こんな条件のもとでどんな教育が行われているのだろうか。ふと心配になる。
「良い環境・良い先生・良い指導」の3条件が揃わないといい教育は行われない。
そう一般的には思われている。実際多くの校長はそのために四苦八苦しているのである。
この環境下でどんな先生方が、どのような養育をしているのか。単なる託児所か?保育室か?心配半分、期待半分それが初発の感想であった。

2回目は自校の2名の教諭を連れて参観、そして3回目の今回は川口・ふじみ幼稚園の園長はじめ5名で参観した。関心は深まる。真剣である。

2.
朝の職員朝礼、全員正座・黙想、やおら立つと子ども達の出欠や日程の確認、更に健康・安全への配慮・指導の重点等が矢継ぎ早に進む、最後に園長の話。その間7 分。公立の小学校では見られないスピード感である。 仕事への「構え・ねらい・情熱」が朝の勝負である。「朝は金・昼は銀・午後は銅」朝が一番大事である。公立にはないスピード感がある。緊張感もある。子供への愛もある。

3.
屋上園庭での体育ローテーションと称する運動。20分、これは凄い、本当に凄い。
全員裸、はだしになっての体育。たったの20 分間であるが内容は濃密である。

8本の長さ3メートルほどの上り棒、それに4 本のロープ。年長さんは棒の方は簡単過ぎるのか、専ら揺ら揺ら動くロープにしがみ付きよじ登りながらロープ登りに挑戦している。棒・ロープ共にどの子もお猿さん宜しくするすると登っていく。

簡単のようだが難しい。握力・手足の筋力・腹筋、更に高いところを恐れないなど総合体力が必要。公立小だったら少なくとも2・3割悪くすると5・6割が登り切れない。学級・学年間のバラツキも激しい。特にロープ登りは難しい。1割程度から8・9割が登り切れない場合さえある。

4・5歳児跳び箱の「ヘッド跳び」、補助する先生の差し出す手を軸にからだが前転し宙に浮いた思う間もなく両手を上げピシット着地。10点満点のオリンピック選手さながら。跳び箱三歳児は4段の横とびである。年齢・能力に応じた高さである。手を挙げ走り回転し、終わってニッコリ満足な表情。2回3回と挑戦する子もいる。鉄棒の逆上がりも簡単にクリア。くるくると何の抵抗もなく回る。

繋がった一連の運動体系。平均台のようなバランス・調整型の動き、子供の背丈ほどもある垂直板、そしてドラム缶を利用してのよじ登り・飛び降りと、静と動の組み合わせも見事である。ここには肥満児がいない。1人もいない。これは驚異である。しかし、この体育ローテーションを見れば納得である。当然であろう。

小学校では普通でも平均でも1・2割、多い学級では3割を越す場合もある。肥満を生まない教育がここにはある。病人を生まない教育がある。恐らくこれから発生するであろうインフルエンザに罹る子も少ないであろう。罹っても早く回復するであろう。

4.
ホールでの1・2歳児のリトミック。
ぐるぐる走る・ぴょんぴよん飛ぶ・跳ねる・ジャンプする。スキップする。見よう見まねで覚えていく。見事である。泣きべそかいている子もいつの間にか輪の中に入る。まねをして学ぶ。理屈はない。説明でもない。独りでに学んでゆく。
いつの間にかできるようになっていく。ここがミソ。学校の先生は説明したがる。教えたがる。そんなことは何の役にも立たない。子供は動きながらまねしながら体で習得していく。それが子供の習性である。

悪い先生ほど説教したがる。3回も参観しているがここの先生が怒ったり説教したりしている姿を見たことがない。これも希有のことである。悪いことはストップをかける。良い方向に向かわせればよい。ただそれだけで良いのだ。

5.
ホールでのリトミックの後は1・2歳児の体育ローテーション20分マットでの回転運動である「ローリング」、これは見たことがなく、初めて見るものである。

先生の補助、勢いよく切れ味良く回転する。バタン・バタンとマットに叩き付けられる音がする。一見無茶な動きに見えるが子供は嬉しがっている。ここがミソ。切れ味が大事。この年代では頭の切れ味よりも体の切れ味である。

特に幼児・児童期は多様な動きで育つ時期である。小学校でも低学年遅くとも中学年までである。一輪車・竹馬・木登り・鉄棒、更にサッカー・野球等体感覚はこの時期に覚えないと大人になってからでは難しい。

6.
朝礼は10分床に正座、背筋をピンと伸ばし真っ直ぐ前を見る。
8・9割はOK、型の決まらない子も見られるが、ちょっと声をかけるだけ。なおす子はすぐ直す。無駄口はない。“黙想”の声で一斉にホールが静まりかえる。先生も背筋を伸ばしピシット黙想。師弟同行である。

主の祈り・聖句暗唱・お話・クラシックなど公立では見られない朝礼風景である。ここでは、毎日続けられる。先生も子供も一つになって祈り・聴き・見えざる神に心を向ける。それがここにはある。

「敬天愛人ー西郷南洲」「神を畏れることは知恵の始まり」である。宗派的活動は無益であり、時として有害であるが宗教的情操教育はこの三つ子の魂の時こそ重要である。

7.
EnjoyーEnglish 10分ネイティブの先生がネイティブで話しかける。
弾丸を発射するように猛スピードで会話を進める。こちらが聞き取れないのに子供達はその子なりに聞き取っている。僅かに10分間、その継続である。

子供の聴能力・音の識別力に感心する。子供の脳には言語を獲得・外国語ホルダーがあり、そのホルダーの感受性期は3・4才頃までである。音を聴く絶対音感も同じホルダーにあるのだろう。外国語の習得、特に英語教育はホットな課題である。なかよし保育園はここでも先駆的である。

8.
日課活動25分、知育の原型である。出欠の確認は漢字の氏名カードを使う。
子どもは何の疑問も持たずにカードを見ながら次々と名前を呼んでゆく。かなりの漢字は識別しているようである。もう一度名前の確認。何人来ているかな。

皆の数から休んだ数を引こう。28-5は23、23人だね。今日の出席は23人だね。さあ、はじめるよ。算数的活動から始まって、国語的活動から音楽的活動・詩や漢詩の暗唱・英語的活動へとカードが次から次へと繰り出される。ハイテンポ・メリハリの効いた指導展開・考え抜かれた教材の配列、オールラウンドな発達への目配せ。25 分間にこれだけの内容を盛り込む公立小は日本中にあるまい。

一連の繋がった良質な情報なら、濃密であればあるほど子どもは喜ぶ。私が懇意にしている巣鴨高校の地学・地理の授業が正にそうだった。本当に良い授業は、緩急自在な展開・靜動の組み合わせが見事である。

9.
歌の発表20分これも驚きであった。
ちゅうりっぷ組の歌「線路は続くどこまでも」「手のひらを太陽に」、メロデオン「メリーさんの羊」選曲も歌いっぷりも素晴らしかった。ばら・ゆり組の歌「紅葉」「旅愁」になるとこの年齢でよくここまで育てたものだと感嘆するばかりであった。

メロデオンで「見上げてごらん夜の星を」は圧巻であった。音楽的知性が何時・どの様に拓いてくるのか興味は尽きない。(音楽のもつ)リズム・テンポ・ハーモニーが「情動」育成に深く関わっている。それを考えると「心の教育」の中核に音楽があることを実感する。

10.
もう一つ付け加えよう。それは「四股」である。
日常の教育活動の中に「四股」を取り入れるなんて普通は考えつかないであろう。

「相撲」が指導要領から消えて久しい。「体格はいいが体力がない」それが学校の現実である。跳・投・走が全体的に落ちている。特に足・腰が弱い。これは致命的である。負んぶ・手押し車・登り棒なども効果的であるが四股こそ単純にして明快、効果的な方法であろう。

境川部屋とも親しくしているが、親方は口うるさいぐらいに「四股」「鉄砲」「すり足」をやらせる。特に「四股」が大事だという。私も子どもと砂場でよく相撲を取るが年々子どもの足腰は弱ってきている。基礎体力をどう育てるかも学校の大きな課題である。人生とは不思議なことである。揺るぎのない教育の筋道を求め求めて、やっと辿り着いたのが「脳科学の知見を生かした教育」であった。

30数年も掛かった。「子どもの友になること」「生涯をかけて子どもの幸せに尽くすこと」これが出発点であった。代表宣誓した時の私の決意でもあった。教職を通して祖国に尽くしたかった。

定年半年前になって始めて、揺るぎなき教育の実践知と脳科学の学問知の連携・融合の姿をみた。やっと見つけたという深い安堵・納得と大きな希望である。彷徨い方向を見失った日本の教育再生の第一歩がここなかよし保育園から踏み出されている。感無量である。
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子供は心が動かなければ、体も動かない。
子供は本来、自由です。ユニークであり、個性的であり、したがり屋、やりたがり屋です。友達・大人の真似をし、再現しようとします。それが創造力を育む原動力になります。
私達は、子供の持っているこのような"宝物"を本当に大切にしながら育てなければなりません。子供は本来、ユニークであり、個性的であって、夫々の持つ創造力をかき立てながら旺盛な興味と好奇心を持って動いているのです。
しかし、現在の子供を取り巻く環境は、自ら自由に動ける場を狭めてきています。家に帰って遊ぶ場所(空間)が、遊ぶ時間も、遊ぶ相手(仲間)、いわゆる三間(サンマ)がないのです。今の子供の遊ぶ玩具はメカロボットのようなテレビの映像を固定的になぞる事だけです。
今こそ、子供本来のいきいきした、新鮮な魂を…
呼び戻すべきときです。そして、ユニークで、個性的な想像力を生かすべき時だと思います。日々の生活の中で、自由なイメージを共有し合う遊びを取り入れたいものです。

一人一人の子供が持つイメージを出し合って遊ぶ楽しさを共感させたい。
想像力を駆使して、もっと自由な、もっと広がった遊びを出現させたい。

それは、子供の想像力・創造力を大切に受け止めているからです。自発性や創造性が伸ばされているからです。友達とイメージを交流し合って遊ぶことが実現出来ているからです。子供と保育者が楽しさを共有し合いながら、共感、共鳴し合っているからです。そこには子供の自由が保障されている場所(空間)があり、時間(保育)があり、仲間(集団)があるからです。
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